心ない殺生はただの殺戮

一昨晩、Twitter上で、とあるトレーダーと会話した後、
あまりにやるせないというか、憂愁感を覚え、
ほぼ一日何もする気が起きませんでした。

このまま「居酒屋で気勢を上げている、はた迷惑な酔っ払い」とでも思い
このまま捨て置き、忘れようかと思いましたが
先ほど、当該トレーダーの直近TL(つぶやき)を見たら
私の事を「絡みづらいトレーダー」とか「無駄な時間を過ごした」とか
後述しますが「博愛主義者ではないので」とか・・・、
もう、看過する事は出来ないので、ここに私の思いをぶちまけさせてもらいます。

当該トレーダーは(自称?)専業トレーダーとの事で、
それはそれで立派な事であり、自信を持つ事は何よりの力です。
また、彼の発言には大筋で同意できる内容も多々あります。
しかし、彼の発言にはいくつもの「トゲ」を感じたのです。

たとえば、初心者トレーダーを「カモ」と呼んでみたり、
自身が専業トレーダーである事、それになり得た事を
必要以上に、並大抵の努力ではない事をなし得たように置き換え、美化し
同時に、専業に至らないトレーダーを趣味トレーダーと揶揄する。

そして私はそれらの発言に対し黙っていられなかったわけです。

具体的にどのようなやりとりがあったかは検索すれば容易に解るでしょうが
最後に私は「殺生と言う事を考えた方が良いですよ」と述べました。

FXはゼロサムな投資であり、勝者の取り分は敗者が出資しています。
言葉を換えれば勝者は敗者を殺生する事で生きながらえているのです。
それを当たり前と考えて良いのか?と言う事を私は問いたいのです。

自身が生きるために他を殺生するのは致し方ない事であっても
その死によって自らが延命できた事に対する感謝を
心のどこかに持っていてもらいたい訳なんですよ。
別に供養しろとか、さらには還元しろなどと言う事ではありません。
今日の自分があると言う事は、幾多の殺生を繰り返してきた。と言う事なんです。

自身の力だけで専業トレーダーになり、それを継続している。
なんてはずはありません。
「そうさせて頂いた。頂いている。」 感謝を持ってもらいたいのです。

もし彼にこのような感謝の心があるなら、彼が社会人であり紳士であるなら、
あのように「トゲ」のある書き方はしないでしょう。

それこそ彼が彼の言う趣味トレーダーであるならここまで彼を責めません。
「専業」と言ってのけたからこそ、ここまで責めるのです。
「専業」であると言う事はトレードという事業を営んでいる事です。
公共の福祉に反する事業が社会に通用するでしょうか?

将来長きにわたって専業でありたいなら(事業を続けたいなら)
トレード収益とは「殺生」によって得る物であり、
直接でなくとも「生かされている」感謝を忘れないようにしなければ
きわめて早期に行き詰まり、自らが社会に「殺生」される事になるでしょう。