一昨日・昨日・今日

為替にほとんど関係ない話ですいません。
一昨日の夜中(正確には昨日の未明)、私の母親が86歳で永眠しました。
昨年春に大腸ガンをやっていて、歳を考えたら再発とか転移とか抜きに、持ってあと1年だろうと覚悟は出来ていましたが、その覚悟も薄れて来ていた矢先の悲報に「をい…今なのかよ…。」と想定外のロスカットを食らった感じです。

昨晩は斎場の広間で母親の遺体と二人切りで寝ていましたが、そう言えばあの時も同じ空間で二人切りだったなと、中越地震直後の車での寝泊まり生活を思い出しました。

戦争に青春を奪われ、前後は親父に怒られながら商売と子育てに追われ、親父の死後は長男に怒られながらも自らの城である店を守り、次男の優柔不断にやきもきし、三男(私)の放蕩に呆れ、ようやく隠居して特養に入って1年ちょいで…。この人の幸せってどこに有ったのだろう…。と、今朝線香をあげながら考えてしまった。

まぁ、30年近くひとりで頑張って今頃天国で親父に褒められているなら、それが一番の幸せなのかな?