7月 20 2011
一昨日・昨日・今日
為替にほとんど関係ない話ですいません。
一昨日の夜中(正確には昨日の未明)、私の母親が86歳で永眠しました。
昨年春に大腸ガンをやっていて、歳を考えたら再発とか転移とか抜きに、持ってあと1年だろうと覚悟は出来ていましたが、その覚悟も薄れて来ていた矢先の悲報に「をい…今なのかよ…。」と想定外のロスカットを食らった感じです。
昨晩は斎場の広間で母親の遺体と二人切りで寝ていましたが、そう言えばあの時も同じ空間で二人切りだったなと、中越地震直後の車での寝泊まり生活を思い出しました。
戦争に青春を奪われ、前後は親父に怒られながら商売と子育てに追われ、親父の死後は長男に怒られながらも自らの城である店を守り、次男の優柔不断にやきもきし、三男(私)の放蕩に呆れ、ようやく隠居して特養に入って1年ちょいで…。この人の幸せってどこに有ったのだろう…。と、今朝線香をあげながら考えてしまった。
まぁ、30年近くひとりで頑張って今頃天国で親父に褒められているなら、それが一番の幸せなのかな?
Toshiyuki Murano
2011年7月21日 @ 01:06
『勝てば官軍…』の先は何だっけ?を調べようと思いググって偶然このページにヒットしました。ちょうど自分の母親が昨日入院したので、何だか感慨深く読ませて頂きました。お母様のご冥福をお祈り致します。
なじらね
2011年7月23日 @ 18:50
ご返事遅くなりました。先ほどようやく自宅に帰着し、この1週間の浦島状態から大量の未読処理をこなし、ようやく現在に戻りつつあります。
お母様が入院とのことで気が気でないかも知れませんが、私にしてみても地震の時や手術後など、何か大事(おおごと)でもなければ気にかけなかったことが悔やまれます。
孝行したいときに親は無しって残酷な表現ですが、私のそのうちあちらの世界に行ったとき、何とか褒められるようになっていなければいけないなと気持ちを新たにしました。
お母様の早期ご回復をお祈りいたします。