3月 15 2011
人間不信
3日連続為替に関係ない話ですいません。
既に私は人間不信に陥ってます。
今般の東日本大震災では首都圏でも多大な被害を発生し余震も相次ぐ中、原発事故の恐怖にもおびえ、計画停電の憂き目にも遭い、踏んだり蹴ったりの状態です。
東北太平洋沿岸地域での津波と地震という直接甚大な物理的被害とは多少種類の異なる心労を課されているかのようです。
そんな中、私を含め今回直接被害を免れた者が、いたわりや励ましの声をかけても何故か拒絶されるんですよね。「停電なんて関係ないから計画停電のことをとやかく言えるんだ」とか、「すぐ隣に壊れかけた爆弾(原発)がある恐怖なんて解らないくせに」とか…。
でも、そんなのが続くと、たまたま地域がずれて助かったこと=被害を免れたことそのものが罪であるかのように言われているような気になります。そしてそれは日に日に強くなります。
どんなに寄り添おうとしても扶助努力をしようとしても、感謝されるどころか「生き残った(罪人が)より多くの苦労するのは当たり前」、「毎日ぬくぬくへらへら過ごしているような奴らは口先だけで実は苦労や恐怖なんて解ってないんだ」とまで言われ …。
首都圏の方にお伺いしたいのですが、我々遠隔地に住む者が生き残ったことは罪ですか?現在の生活を全て捨てればいいのでしょうか?いっそ死ねば許してもらえるのでしょうか?
もう何も解りません。そこまで言われるくらいなら本当に死ねと言われなくとも死にたいです。
ニコ
2011年3月16日 @ 00:47
実際に会って話したことない人との、ネット上のコミュニケーションは、真に受けてはいけません。
いくらネットが発達しても、文字だけの会話では、お互いの気持ちが正確に伝わらないのは昔から変わりません。
短文しか書かないTwitterやチャットは特にそうです。
たとえ自分が善意の塊であると信じていても、安易にネット上だけで「寄り添おう」としてはいけないと思います。
感謝される、という見返りが欲しいのですか?
yosnan
2011年3月16日 @ 11:12
今日は。
初めまして。
東京常駐のyosnanと申します。
為替日記「プクッチ・メロッチ劇場」の記事から、こちらに立ち寄らせていただきました。
東北地震の件で、Twitterでのやりとりでしょうか。
内容は、具体的に分かりませんが、世の中には、いろいろな考え方の人間が存在しています。
そんな中には、自分でも「理不尽な」「理解を超える」ような、考え方や行動を取られる方も多く存在すると思います。
なるべく、そういった場所や機会から離れていることも必要かと思います。
あなたの意見に賛同される方も、沢山おられると思います。
そんなことで、落ち込まないでください。
なじらね
2011年3月16日 @ 21:44
コメントありがとうございます。
未だ良くまとまっておりませんが、私の昏惑の本当の理由を本日付エントリに上げてありますのでご参照ください。
なじらね
2011年3月16日 @ 21:46
コメントありがとうございます。
はい。しばらく静養というか、一歩引いたところから見ていきたいと思います。
それはともかく「プクッチ・メロッチ劇場」さんからですか…。
こんなつたないブログを見られていたとは思わなんだ。